はじめに:ある日ふと目にした、“育てるタオル”という言葉
ある日、何気なくスマホを眺めていたときのこと。
育てるタオルという言葉が目に飛び込んできました。
“育てる?” “タオルを?”──
タオルを毎日のように使っている自分にとって、その言葉は思いがけず胸に残るものでした。
私はトラックドライバーとして、日々走り回っています。
暑い日、汗を拭く。
雨の日、荷物が濡れないようタオルで押さえる。
休憩中、ハンドルにかけたタオルを手に取り、顔をぬぐう──
タオルは、もはや“仕事道具”であり、“暮らしの一部”です。
でも、そんな日常に「育てる」という発想はありませんでした。
それだけに、“育てるタオル”という言葉には、妙に惹かれるものがあったのです。
“育てる”というコンセプトが教えてくれたこと

調べてみると、「育てるタオル」とは、使えば使うほど、柔らかくなり、なじんでいくタオル。
新品のふわふわを楽しむというよりは、何度も洗って、使い込むことで自分だけの柔らかさに育っていくという考え方です。
これは、ただのタオルじゃない。
使い捨ての便利グッズではなく、“長く付き合っていく存在”なんだと、私は思いました。
長距離を走る仕事をしていると、「自分だけの定番」「手になじむ道具」がありがたくなります。
ハンドルの握り心地、長年愛用しているバッグ、いつもの作業着。
そして、タオルもまた、そのひとつなんだと気づいたんです。
タオルは、私にとって「仕事道具」であり「心の支え」だった

トラックドライバーという仕事は、体力勝負でもあり、精神力勝負でもあります。
真夏の積み下ろしは汗だく。
冬場の寒風の中でも、荷物は待ってくれません。
狭い道、長時間運転、仮眠や休憩もままならない日もあります。
そんなとき、肌にやさしいタオルで顔や首をぬぐうだけで、ほっとする瞬間があるんです。
「お疲れさま」って、自分に言ってあげられる唯一の時間かもしれません。
でも、これまでの私は、タオルを“消耗品”としてしか見てきませんでした。
安くて、数があって、乾きやすければそれでいい。
「使い終わったら捨てればいい」そんな感覚で買い替えてきたのです。
だけど、この“育てるタオル”という存在に出会って、「もしかして、そうじゃないのかも」と思いました。
タオルも“育てる相棒”にできるかもしれない

たとえば、長距離の仕事で何日も走るとき。
疲れて車内で横になるとき、ふわっと顔にかけたタオルが、自分の肌になじんでくれたらどうだろう。
その瞬間、ほんの一枚のタオルが、「ああ、帰ってきた」と思わせてくれるような気がします。
長く使って、洗って、干して。
旅先のサービスエリアや道の駅で太陽に当てて乾かしたタオルが、自分の仕事とともに少しずつ育っていく──
そんな風景を想像するだけで、なんだかワクワクしてくるのです。
「育てるタオル」を迎える準備

今、私はまだ“育てるタオル”を手にしていません。
でも、その存在は、すでに私の心の中で「大事な相棒」としての位置を占めはじめています。
どの色にしようか。何枚揃えようか。
運転席の横に置く1枚。
シャワー後に使うバスタオル。
仮眠中にそっと顔にかけるフェイスタオル。
それぞれの場面を思い浮かべながら、選ぶ時間もまた、ひとつの楽しみです。
これまで何枚ものタオルを使い捨ててきた私が、
これからは「育てる」ことで、タオルとともに暮らしを少しずつ豊かにしていけるかもしれない。
そんな予感がしています。
このブログで書いていくこと
このブログ『タオルと暮らす』では、“育てるタオル”とともに歩む日々を記録していきたいと思っています。
- トラックドライバーとしてのリアルな使い方
- 洗濯後の風合いの変化
- 汗を拭いたとき、顔を覆ったとき、手を拭ったときの肌触りの違い
タオルひとつとっても、毎日の中にたくさんのストーリーがあることに気づかされました。
そして何より、日々使うものを大切に育てていくことが、自分の心や暮らしを整える第一歩になる。
それを、これから実感していきたいのです。
終わりに:やわらかく育っていく日々へ
「育てるタオル」という言葉に出会ってから、
私は“道具”や“時間”との向き合い方を、少しずつ見直すようになりました。
汗だくになった日も、冷たい風にさらされた日も。
そのすべてを受け止めてくれる、柔らかな1枚。
まだ出会っていないけれど、
そのタオルと一緒に、これからの日々を育てていきたいと思っています。
今日も、タオルをポケットに差し込んでエンジンをかけます。 ふわりと育つ時間は、すぐそこに。